この作品をデンマークにて発表している様子です。


日が沈むと、このような表情になると思います。

少し、孤独な建物の佇まいです。戦争がテーマであったからかもしれません。

緑の部分は、少し傾斜した芝の庭です。佐渡島で以前、このような風景に出会いました。

模型写真です。
手前の駐車場から円弧の歩道を歩いて海に対面し、建物に入ります。

正確な図面を書く前にはたくさんのアクリル画を描きました。

配置図

黒い部分は海です

上階の平面図

下階の平面図
詳細の説明は省きます。

14:真夜中の対話

10m四方に均一に散りばめられ、埋め込まれた前庭の照明器具からは、蛍のひかりのような親密なスケール感を
訪問者に与えるだろう。
灯台の光や漁船の光りと相まって、詩的な深夜を演出する。
13:端部

灯台に向かって一直線に向かう斜路が建築のエッジを縁取る。

12:内省

まるでエドワード・ホッパーの絵画のような内省的風景が展開する部屋。

11:トレンチ

この建築が抱く光庭は、そのサイズがバイキング時代につくられた敷地周囲のトレンチと一致している。

10:サムソ島の地理的特性

敷地周囲の緩やかな起伏面と連続するように、建築内部は緩やかに傾いた床面が特徴である。
09:斜壁

この建築の特徴である大きな斜壁は、訪問者を海風から守る役割をし、既存の防風林と高さが揃えられている。


08:歪んだ策略

スタディの結果、あの写真は幾何学的に歪んだ球体に翻案された。 
この物体は二つの焦点を持ち、一点はベスボー灯台であり、もう一点は黒い灯台である。
球体と地盤面が交差する自由曲線は、そのまま歩行者のための道となり、建築へと導く。
07:見出されるのではなく、つくられた敷地

広大な草原地のどこに建築を配するのか。
明確な敷地の区画は、あの写真の物語が浮き彫りにしていく。
06:仲介者としての第三の男

この写真を撮ったのはドイツ軍の兵隊であった。
手前に写されないこの男を加えると、これは三人の男たちの物語だ。
写真に写された二人の男の間には、ちょうど一人分の空白が横たわり、二人を引き裂くように背後に灯台が迫る。
オット・モンステッドの笑顔は、直接隣人には届かずに、この第三の男に跳ね返っているようにも見えてくる。

これをなんとか幾何学に翻案したい。
05:西日を建築素材として数える

あの写真をよく見ると、男たちの影の位置から判断し、夕方に撮られたものだと推測できる。
西に開いた建築。
西日を建築へと導く。

これはオット・モンステッドに捧げる灯台です。彼の灯台はナチスに占拠されたのです。
基礎より上部のタワーは「見えない」灯台です。
ナチスの監視から逃れるためです。

04:もう一つの黒い灯台

とにかくハンス・ハッカーはデンマークの社会状況を俯瞰し監視する人物であり、彼が「灯台」であった。
彼がベスボー灯台を訪れたとき、この灯台は彼に占拠されたようなものだ。
隣人であるオット・モンステッドは灯台の操作を職業としていたために「虚偽の笑顔」という方法で、ハンス・ハッカーという灯台を操作したのだろう。

占拠され、灯台を失ったオット・モンステッドに、代わりの灯台を捧げよう。
ハンス・ハッカーに気づかれないように、ある距離を置いたところにこの灯台を、そして色は黒がいいだろう。
ライトハウスとシャドーハウス。 白い灯台と黒い灯台が向きあう。
隣人は手に負えない存在だ。
灯台は時に厄介な隣人だ。

03:ベスボーという戦いの場

バイキングの時代には、「ベスボー」とよばれるこの計画敷地の周囲はデンマーク最大の要塞であった。
「ベスボー」の語源は、誰も近づくことも攻撃することもできない要塞、であるという。 
水の満たされない、深さ4m、直径7mの馬蹄型の堀が敵の攻撃から防衛する目的で巡らされた。
周囲はバイキングたちの戦いの場であった。
一方で、第二次大戦におけるベスボーの状況を示したあの写真が示すように、オット・モンステッドは侵略者であるハンス・ハッカーからの
防護策を何も用意しなかったのだ。
彼の唯一の防衛は、微笑みだけであった。

01:「笑顔」という身振り

近づくことも、遠ざかることもできない隣人に出会うことがある。
こんな時、感情が交じり合った笑顔を、そんな身振りをするものだ。
おそらくオット・モンステッドにとってハンス・ハッカーはそんな隣人であった。
この二人の男は、西日を浴び輝くヒロイックな灯台の前に立ち、ねじれた隠喩を含んだまま写真として切りとられ、
歴史となった。

02:感情を素直に表現する時、しない時

例えば、猥雑な都市の地下鉄で怒鳴る男。
こういった男を目撃すると、直接的な感情表現に対して疑義を挟みたくなってしまう。
幸福感は、一粒の涙を誘い、
怒りの感情が増すと、ときに微笑を誘う。

このファンタスティックな瞬間。
この写真はドイツ軍によって1942年に撮られました。
向かって右の笑顔の男はオット・モンステッドという、ベスボー灯台の管理人です。
実は、ナチズムを追放する反対運動の影のリーダーでした。
左の男は、ドイツ・ナチズムの将校であるハンス・ハッカーです。
この人物はサムソ島におけるナチズムへの反乱を監視する人物です。
この時は、親しそうに微笑みかける隣の男が、まさかストライキのリーダーだとは気づきませんでした。
この写真は戦後何年も経てから、公開されました。
                             1981年 ジョン・アナセンの著書より抜粋

序文

これはデンマーク サムソ島に位置する宿泊施設を伴ったアートギャラリーの計画である。
サムソという名は「バイキングの集会所」という語源を持ち、この島では彼らが残した多くの痕跡が見られる。 
計画地はベスボーとよばれ、灯台に隣接した緩やかな起伏をもつ草原地である。
この島には多くの芸術家が滞在し、いくつものギャラリーがあることから、これらの基地としての役割が意図されている。

敷地には何度も足を運びました。
冬のある日、野生の鹿の親子(写真右)が灯台に向かって叫んでいました。
計画敷地

敷地は灯台の奥に見える草原です。
緩やかな起伏があります。

Art Gallery with Accommodation on Samsoe Project, 2004

僕はこの作品を通して、デンマークで建築家認定を受けました。

デンマークに浮かぶ小さな島、サムソ島は島の電力を全て風車でまかなっていることで有名です。
日本の環境を専門とする学者が多く訪島しています。またこの島のチーズは日本にも輸出されています。
南北に細長く、長手12キロ、短手500メートルに過ぎない島ですが、バイキング時代には戦いの舞台になりました。「SAMSOE(サムソ)」という語源には「バイキングの集まる場」という意味が込められています。また第2次大戦時にはこの島もナチス・ドイツ軍によって占拠されてしまいました。島にはドイツ軍を追い払おうとする運動、ストライキがありました。その主導者は島の灯台の管理人でした。

現在、この島には多くの芸術家が滞在しています。
島には文化施設が必要だという要望もあり、シドニーのオペラハウスの設計者ヨーン・ウッツォンが以前に計画を提案しましたが、自然の豊かな島に対する建築へのアレルギー(反対意見)があり、建設までに至りませんでした。
僕は外国人として違った視点でこのテーマを扱いたいという目標がありました。
 
僕はこの建築提案を、「戦争」という歪んだ社会背景を軸に進めました。

デンマーク サムソ島に提案した文化施設(美術館と宿泊施設)です。

以下、2004年に出版されたカタログに沿って、説明させて下さい。

島の全体地図です。
島に2つある港から敷地までは、
赤の線で示された公道でアプローチできます。

バイキング時代(およそ1000年前まで)には島のくびれ目(図の赤いところ)に気づかれないように運河が作られていました。
バイキング船がそこに隠れて待機し、敵の船を攻撃していました。

僕の住んでいたオーフスから車で1時間南下すると
港があり、そこから船で1時間でサムソ島です。

島にある一般的な民家です。
夏の別荘(サマーハウス)としての利用も多いため、冬季はひっそりしています。

敷地調査の様子

なにか手がかりがないものかと何度も通いました。


迎えのタクシーを待ってるところ。バスもありませんので、
行きの時に帰りの時間を決めて来てもらいます。

これは夏の様子です。