2006年 6月某日

代講の準備などで疲労がたまり、ひどい風邪に。

学生にうつさないように気をつけて家具の指導へと専門学校に向かう。
初めて専門学校の図書館に行ってみたが、思った以上に本が多かった。
以前教えていた学校には図書館がなかったので嬉しい。
友人がエッセイを書いたという一冊の本を借りた。
僕のクラスの中国人の学生にも会って新鮮だった。

家具の指導は楽しい。アドバイスをしている自分の発言を俯瞰する余裕もできた。
今、自分が考えていることを、自身で発見することが多い。
この機会には、仮に講師が学校にお金を払うとしても安価な代償だ。
とても勉強になるし自分の仕事にも役立つ手ごたえを得た。
といっても、家ではもうろうになりながら、プロジェクトを進めている。
2006年 6月某日

シカゴから戻って、休講になってしまった授業の代講をおこなう。
今日は僕の作品をレクチャーした。
デンマークの文化の話を含めて、早口で2時間程度かかることがわかった。
場数をこなせば少しは上達するだろうか。
学生からは純粋な質問が多かった。

授業の方法に関して。
小さなロージャ(RHODIA)のメモ帳を持って、生徒の机をざっと図示しながら見せれば、韓国や中国の留学生にも的確に助言できることが分かった。
言葉よりスケッチの方が伝わりやすいことも分かった。来週は横浜 三渓園の茶室を案内する。

僕のホームページを見てくれた関東圏のラジオ局から電話があった。
僕の自宅のリフォームをラジオと小さな本(?)によって紹介してくれるとのことだったが、先方のコンセプトとすこし僕の意向が異なっていた。
何度かとても丁寧な口調の電話をいただいたけれど、断ってしまった。

雑貨系の季刊誌(とても可愛い本)を出版している方から電話を受け、昨日無事に取材が終わった。
建築やインテリアの分野でないので、妻の千香子がずっと応対してくれた。
僕は写真家の方の空間を見る「視点」を見るのが、とても楽しみで勉強になる。

アメリカのツアーではたくさんの人と出会った。いまだに頭が整理できないでいる。
対象が建築物でも、ツアーの引率は本当に大変だけれど、ツアー会社の担当者(先週遊びに来てくれた)が本当にきさくでいい兄貴なので、今後も彼からの依頼にはすべて応えたいと思った。社長も以前僕のアート活動を支援してくれたことがあるので、少しずつお返ししていきたい。
2006年 6月某日

6月7日発売の「美しい部屋」に自宅が掲載されました。
2006年 6月某日

東京デザイナーズウィークに出品(ストリートファニチャー)する学生を選ぶための学内コンペの審査員を務めた。
希望者は模型を前にプレゼンして8人を選んだ。
10人まで出品することが出来るため、今日、残りの2人を決めるために再度審査をした。
秋には若々しい感性の作品が実現出来るように、毎週金曜は他の先生とともに指導をしていくことになった。

京都の親友が家に来る。6年ぶりの再会だった。アーティストとして活躍する彼の最近の作品の傾向を知り、刺激を受ける。
横浜での展覧会の内容にはとても衝撃を受け、そのコンセプトを友人にメールで知らせた。
お互いに、この6年での出来事を詳細に語らなくとも「なんとなく」理解できてしまう仲なので、気も遣わなくて楽しい時間だった。
やはり、社会に出てからの友人とは全く異なった時間の流れだ。
彼が講師を務める京都造形芸術大学で、僕も夏季の間教えることになった。
友人は僕に小さなタイトル(肩書き)を届けに来た。
建築学科でないのでとても心配で、彼にはいろいろ「方向性」を与えてもらった。
頭のなかがすっきりする。自分はそんなことを考えていたのか、と。

デンマークで知り合った建築家が横浜に素敵な家を建てた。
誘ってくださり、見学しに行った。そこで、デンマークで僕が勉強した学校に少し所属していたスイス人の若い建築家に会って、ずっと話していた。
3時半にお邪魔して、それから6時間の間、僕はその住宅の中に居た。
とても快適で、僕には実現できそうにない緻密なディテールだった。一分の隙もない完成度。
途中、以前大学でこてんぱに批評してくれた、有名な建築家が見学に訪れて、鋭い視点で空間を語った。
凄みがある語り方は健在だった。僕は大学3年生のとき、「君の建築は3日で壊したい」と云われた。
他の先生が少々「ちやほや」してくれるなか、その建築家は厳しかった。
今度はいつか、現在の作品を見てもらいたい。

週末は群馬に行くことが多い。模型を持って少し打ち合わせした。方向性が大きく変わった。やりなおし。
いい作品にしたい。

掲載された雑誌とこのホームページを見てくれたとのことで、テレビ東京の関係者から電話があった。嬉しい。
企画を聞いたけれど、東京の物件で夏までに完成する作品が僕にはあいにくないので、今回は見送った。
僕が現在考えている建築の周辺を先方に伝えた。残忍な事件が多い。コミュニティから遊離した住宅が背景であれば、事件の責任は建築家も追うべきだ。 そのとき僕が先方に伝えたのは、「社会を救済する建築」、といったところか。

あさってからシカゴに行く。フランク・ロイド・ライトの建築ツアーの仕事。今日は徹夜で準備だ。
専門学校の授業を1回休んでしまうので、代講届けを提出した。
前回の授業で、積極的な女子生徒が授業中に僕の作品のスライド会をやってといわれて準備を始めた。
去年、明治大学で使ったものをベースに肉付けしていった。まだ相当時間がかかるだろう。

週末、大学時代の友人が家に来た。友人にはすごく恵まれてるなという実感を覚える。
たまたま偶然に出会った友人は一人もいない。 必然的に出会ったのだと信じている。もう、ええと17年になるか。
それにしても僕には、大きな会社で働いている友人が一人もいない。講師活動を除けば、ほとんどが皆、家での仕事だ。
その影響は確実に受けている。
2006年 5月某日

僕の古くからの友人・先輩から突然、忠告の電話を受けた。
僕の周囲に一人、付き合いを止めた方がいい人物がいる、とのこと。
東京にはいろいろな人がいると実感する。

デンマークの友人に送った書籍が届いたと連絡を受ける。
デザインのいい本のため、すごく気に入ってもらった。

明日は6月のフランクロイドライトツアーの打ち合わせ。
少々の準備。
ついでに水曜日の授業のプリント作成。
明日は生徒のためにカラーコピーを100枚以上しなければ。
アシスタントのアルバイトを使ってもいいとのことだけど、色合いとか気になってしまうので自分ですることに。

デンマークの真理子さんの卒業テストが今月の31日に行われるようだ。
どんな作品を最後に作ったのか、本当なら見に行きたかった。
デンマークの美術・建築学校の最終学生は、製作中、学校の精神科医にも相談できるシステムになっている。
物をつくるとは、そういうことだ。
製作中に、迷って戻ってこれなくなる。それを恥ずかしいことだと思うべきでない。
それでいて社会性を「はおって」いなければならないので、その狭間に立たされることもあるだろう。

デンマークの友人、スワンが教会・修道院の設計競技の1等になった。
彼はこの先、いや、近いうちに必ず有名になるだろう。
今年ベネチア・ビエンナーレにも作品を出品するし、中国にもプロジェクトがあるし、デンマークのボーンホルム島ではサマーハウスを建設中だし。。。。。その活躍は世界的で流石だと思う。
2003年は深夜の12時まで毎日僕の机の前に座っていた。そのときも周囲とは建築の思考が違っていた気がしていた。

以前教えていた専門学校にて出会った方から突然のメール。7年ぶりか。
どういう応答をしていいか迷うけれど、嬉しい。
まだ代々木でコンサルティング事務所をやっているのだろうか。
当時、建築に飽きていた僕は、新鮮なお話を聞きによく事務所に遊びに行った。
またお会いしたいと思う。でも、過去にとらわれずに今年恵まれた、新しい出逢いも大切にしたいと思った。


2006年 5月某日

デンマーク オルボー大学の建築学科 助教授のピーターからメッセンジャー。
朝の4時に1時間くらい会話した。 嬉しいけど次の日は寝不足。時差があるんだって。
日本への研究費が助成されたので7月終わりから4週間で来日するとのこと。

また、関西新空港や銀座のエルメスのビルを設計したイタリアの事務所に勤務する女性を連れてくるらしい。
下調べしたのだろうか、「広島」と「金沢」とどちらが面白いかなど相談された。
山手線の内側だけで十分楽しめるよと、答えた。

北欧建築デザイン協会の理事会に参加。6時半から3時間という長いミーティング。
雑誌や書籍でお見かけした先生たちと同席して、少々緊張。僕の勤務先だった所長の大学時代の先輩にあたる方もいて、そういう人に敬語で扱われると不思議な気がした。
理事の新メンバーのスピーチを求められて、何も台本を用意してなかったので戸惑う。でもうまくいった。

東京デザイン専門学校で講義。 メタファについて。
バーで同席している女性に「このあと二人っきりになりたい」と言った場合、その字義通りの言葉を越えた「真意」を女性に対し婉曲的に漂わせるように、空間にもメタファを与えることができるんだよ、と黒板と僕の演技で説明したが、皆あっけに取られていた。
プラトンの「洞窟」についても黒板で説明したが「?」という感じ。
来週また話そう。真意というのは日常でなかなか見ることができないけれど、物の裏側に潜んでいる、みたいなことを伝えたかった。

授業の終了後、原宿駅までの帰り道、京都の親友からの電話が鳴った。鋳物でできた白いストリートファニチャーに座って会話を楽しむ。僕は彼に帰国したことを伝えていなかった。彼に自信を持って見せることのできる作品ができたら、連絡したいと思っていたから。
芸術家として活躍している彼の作品を見るのが好きだ。たくさん芸術家の友人ができたけれど、皆古典的なものに引きずられていて、古臭さも感じてしまう。「石膏デッサン」の後遺症だろう。
彼のような自由な発想の作品に出会うと、世の中が変わって見える時がある。
同時に、そういう効果が「建築」では表現できないので、悔しい。

その彼から、夏休み、京都造形芸術大学で教えてみないか、と誘われた。
建築学科ではないので不安だけれど、彼から届いた手紙のようなものだから、もちろん大切に受け取ることに。

彼にこのホームページがばれていた。。。読まれていた。友人だけには内緒にしていたのに恥ずかしい。
「自分のベスト」以外のものを見られるのは恥ずかしい。見られるのだったらこの文章を、ページのデザインをもっと磨いておかないといけなかった。

帰宅すると留守電にライフ・ハンセンから。東京で会おうという「ゆったり英語」のメッセージ。
あと、新型ジープの発表会に来いというクライスラーからの丁寧な手書きの手紙。
670万もするジープ、誰が買うんだろうか。小さな山荘が建ってしまう。それに、やっぱり僕の90年型のデザインの方がいい。コペンハーゲンのデザインセンターに唯一セレクトされた車だと分かってから愛着を覚えている。

K君のデンマークのプロジェクトが進んだらしいので、うちに来て打ち合わせを希望する連絡を受ける。
どのように進化したのか楽しみ。

あと、デンマークで僕のカタログを見た日本人の留学生から丁寧なメールをもらった。メールアドレス記載してよかった。詩的な作品ですね、という嬉しい言葉。
一方の彼は博士を目指す、すごい経歴の持ち主で彼の作品は刺激的だった。才能ある人がデンマークに進出して行くのは嬉しい。

注文していた書籍が台東区・根岸図書館に集まってるとのこと。8時までにとりに行こう。
2006年 6月某日

関係者の皆様

フランク・ロイド・ライトの建築ツアーの引率で1935年の名作 「落水荘」を見つめています。
16年前の20歳の頃 はじめて前に立ったときよりも
少しはこの建造物のすごみが 理解できるようになりました。
もう再びここに立つことはありません。

お仕事がんばってください。
はやく再会できることを楽しみに待っています。

藤森修
2006年 5月某日

デンマークの工務店からFAXがきていた。ページが多い。文字が読みにくい。
K君の意向通りに設計がなっていない箇所が少々気になる。天井も低くなっているし。
この会社には繊細な和室の施工は無理だろう。

K君の建築日記をチェック。
あっ、大きな模型で検討している。食事以外はずっと取り組んでいるみたい。日記を読むと、設計に余裕が出てきて楽しんでいるようだ。この夏、彼が博士課程に進学するための「重要な受験勉強」はきっと手が出ないだろう。忙しくなったら、設計をもっと手伝ってあげようか。
デンマークの編集者、批評家に感謝の手紙を書いて、深夜上野郵便局まで散歩に行った。家から1キロほど。最近よく行くスポット。


←先日作品が掲載された雑誌、memoです。
クリックしてください!

2006年 5月某日

連休中前に、大学の同期の連中と青山で飲んだ。久しぶりのメンバーもいて、建築の話に盛り上がった。 同窓会。
こういう場で、仕事の愚痴とかをいう友人が一人もいなくて、嬉しい。貴重な時間となった。
僕の長年のライバル、学部中はずっと追っかけていた「佐藤君」に僕が教える専門学校の、優秀な生徒の求人をお願いした。

その後、群馬県下仁田へ。池袋発の高速バスが混んでて、上野から新幹線で行くことに。
模型を持っていたので大変だった。
1994年からお世話になってる方の相続された、築80年の古い民家のリフォームを相談され、実測とアイディアを考えに行く目的と、
彼の将来の小さな木造住宅の打ち合わせ。これはすぐには実現しないけれど、気に入ってもらえた。2泊3日。
連日街のスナックで打ち合わせ。2日目は飲みすぎた。「ロイヤル」のママは家庭的な雰囲気で、いつも飲みすぎてしまう。
水割りは医者にとめられていたのに。つい。。。。。。どうやって帰ったのだろうか。
模型は、数年前に亡くなられたお母様の仏壇の前に置いて、考えてもらうことになった。
僕は模型を失ったので、また作らなければ。急遽デンマークのYさんにメールし、Made in Denmarkの模型材料の買い物をたのんだ。

築80年(1926年竣工)の建物は傷んでいた。内部は先日まで借家となっていたため、引越しの最中でほとんど見ることができなかった。この建物はオーナーの祖父の住宅だったようで、思い出があるらしい。外観は変えるのをよそうか。多くのものを継承して行く方向で、隣の畑でスケッチブックにてコンセプトを詰めていった。
新しい用途は、オーナーの友人を東京から呼んで宿泊してもらうゲストハウスとして蘇る。僕の友人にも来て貰ってもいいとのこと。
もっとも僕自身も頻繁に行くことになるだろう。1994年以来、年に2度ほど、下仁田の自然に触れている。多くの芸術家、陶芸家の友人がいる。今回も吉田さんという陶芸家と出会って、アトリエで談話した。

さて、2006年の最高の作品になるように頑張らないと。

14坪の住宅計画, 2006  群馬県下仁田

2006年 4月某日

僕の作品が載った「memo 男の部屋」に年末参加したパーティの主催者(俳優業 他)が載っていたことに気付く。
オーラのある人物だった。名刺が見当たらないので恵比寿に住む写真家の神尾さんに連絡先を問い合わせる。 
何かの縁なので、挨拶を兼ねて手紙を書こうと思う。
パリで買った、お気に入りの万年筆のペン先を買いに行かなければいけない。
2006年 4月某日

僕の所属する「北欧建築デザイン協会」の理事に推挙された。その連絡を朝、受けた。理事の先生と新宿で待ち合わせ。
僕の次に若い理事の方は、それでも僕より20才も年長という、先生たちの協会である。 若い視点での提案などが期待されているかもしれない。デンマークでの経験を生かして少しでも協力したい。面白い講演者を探して先生に提案していこう。
次の会報誌によせるエッセイを考えておくようにとのこと。

某雑誌に掲載されるリフォームの図面のFAXを受ける。手書きの可愛い図面だ。ほぼ完璧だが細かくチェック。

デンマークのyさんのビザがうまくいく気配。優秀だとチャンスにも恵まれるのだろう。
yさんにも帰国の際に講演を頼みたいと思う。たくさん経験を積んだんだろうな。

酒井さんとアメリカツアーの打ち合わせ日を話し合う。うまく案内できるかな。。。。。

多摩美の先生と生徒さんと新宿でお酒を飲んだ。デンマークの北部に留学していた尾上君も途中合流。
北欧の留学を希望している生徒さんと話した。しっかりした生徒さんたちだ。
デンマークなら是非協力したい。フィンランドとどちらか迷っている模様。

家に帰ってひたすら模型作り。どこが気に入らないのか自問自答。ゴールデンウィーク中に打ち合わせの連絡がとれた。
2006年 4月某日

絵の道具を探す。今月中に一枚描きたい。
デンマークで講演したとき、冒頭に僕の絵のコンセプトを話した。英語で抽象的なことを伝えるのは難しかった。

今、絵を描くにはあまりに僕は幸せ過ぎる。なにも表現することがない。
20代のころの挫折感、退廃、憤りや不満がなさ過ぎる生活だ。
今、ぶつかり合ってる人物も数人はいる。でも、それだけでは何も描けない。
建築はどんな心境のときも向き合って、できてしまうけど、やはり絵は描けそうもない。
20代の時、中目黒のアパートで週末は絵と向き合った。もう戻れないだろうか。
アートに魂を売った友人に会うと、彼らはすごく非社交的だけれど、いつも自分は負けてるって思わされる。
2006年 4月某日

昨晩は朝まで模型制作。やっぱり図面だけでは不十分で3次元にして気付かされることが多い。
また図面へとフィードバックして再検討。 設計方法において、デンマークのハンス教授の影響が自分の中に息づいている。
日本にいたころは、完璧な図面が完成した後で、模型をスタートした。
現在はいきなり模型から始めることもある。

学生の宿題のチェック。茶室についての僕の文章を手書きでノートに書き写させた。
茶室の勉強が宿題の意義ではなくて、手書きの筆跡が見たかったから。
僕は他人と話してもその人をよくつかめない。
自信に満ちていたり、迷っていたり、その人の本質は手書きの筆跡に現れていると思う。
佐藤さんは佐藤さんのような字を描く。学生の筆跡を見て、みんなのキャラクターがつかめてきた。
その洞察は個人対応の課題のチェックのときに必ず生かせるはずだ。

k君のプロジェクトの図面がデンマークの工務店から届く。時差を考慮してくれたみたい。ざっとチェックした。
あっ 手書きの図面だ。
和室の丸窓の位置が気になる。少し大きい。障子越しにこの窓のシルエットを見るとスケールが大きすぎる。
あと、屋根の形状が「つくりやすいように」変えられていた。
k君にFAXをスキャンしてメールで送った。気になるところは「指揮」するように僕の意見を伝えた。

デンマークのYさんのビザが取得できるように移民局のホームページをチェック。入念にチェック。僕の英語の語学力が怪しい。
トレニービザが取れたらいいな、と、でも条件が厳しい。学生ビザを延長して先送りするしかないか。
Yさんは律儀な女性だから、不法滞在の方法論は、ためらったが教えるのをやめた。
混乱するだけだろうし、安心して眠れなくなってしまうだろう。彼女には「建築」だけに集中できる環境が必要だと思う。

明日は北欧建築デザイン協会の集まりがあるので、理事の先生にかねがね依頼されていた、「コペンハーゲン新建築情報」をつくらなければ。。。。。明日の5時までに作り終えれば、6時には新宿に行けるかな。
2006年 4月某日

徹夜での授業の準備のおかげで、いい講義ができた。
西洋と日本の庭園の歴史を話して、現在の課題に生かして欲しいと考えている。
日大での卒業研究がはじめて生かせたと思う。

学生に発表させるのは酷だから、僕が特徴的な学生の現在状況を皆の前で話した。
断面で検討している学生、模型でコンセプトを探してる学生、色彩でグラフィック的に検討している学生と、皆のアプローチの違いを強調した。これはシーンと興味深く聞いていたようだ。
得意でない学生や、僕の日本語が理解できない留学生には個別に対応したが、皆がんばっている。

次は友人のスイスでがんばっている後輩建築家の作品集(先日いただいたもの)や、デンマークのガーデンハウスを例として提示してみよう。なにか事例を見せたほうがいいかも。

MEMO 男の部屋6月号が届いた。
写真家 油科さんと編集の大谷さんの熱意のおかげでいい仕上がりになっていた。
内部写真は雨模様だけど、それも雰囲気が伝わってくる。
ありがとうございました。
次回は僕のアートに焦点を当ててくれるかも!ということで計画年が未定の、ハンガリーに計画中の作品を模型化してみようか。
とても建築とはいえないものだけど、人間が中に入れるものになりそうだ。

今日の午後は、地方に計画中の超ローコストの物件をまとめよう。池袋から高速バスで運べるサイズの小さな模型をもって、連休に打ち合わせしに行かねばならない。断熱材もないし、外壁の塗装もできないローコストだけど、村の人たちが集まってくるようなものにしたい。ローコストの課題は、デンマークに行く直前、予算が合わなくて挫折したことがある。1998年の長野の計画。
今度は成功させたい。気に入るかな。
学生指導の準備ばかりで時間をとられているので、近日中には絵を描こう。ルーフバルコニーに飾る外部用の絵が欲しかった。
ダイニングから窓越しに見るもの。 ドイツかデンマークのアートオークションでいいものを落札するか、どうか迷う。
コーネールの絵がいいか。いや、気分転換に自分で描こう。

2006年 4月某日

デンマークの敷地を対象に、設計している自由が丘のK君が落ち込んでいる。
僕はアドバイザーとして関わらせてもらっているので、会員制の彼の日記の文章から、設計状況を毎日把握しています。
義務というよりは、楽しみです。もちろんお施主さんが30年ローンで建てる家ですので、責任感はのしかかってきます。
その責任感で設計が保守化してしまう、「弱さ」は今はもうない。少しは余裕が出てきた。彼にとって素晴らしい処女作になるように
その余裕を生かしたい。
デンマークは狭い国なので、一度失敗すると、もうデンマーク人は日本人に家の設計を頼まなくなるかもしれない。後輩には絶対迷惑をかけたくない。
今の彼にアドバイスできることは何か、なぜ落ち込んでいるのか、目標とのどんなギャップを意識してしまっているのか。
混乱させないで、僕は新たな助言をどんなタイミングで流すのがいいのか、慎重に考えてみました。
工事はこの夏。 きっとうまく行くでしょう。
日本からコンテナ郵送する和室(茶室)を予算内で納まるか、それが最も心配な点です。


あと、デンマークから幾つかのメール。
一番深刻なのは、日本人建築家Yさん。
彼女(Yさん)の仕事先の設計事務所(オーフス市)の受け入れはうまく行くみたいですが、問題は就労ビザ。
この問題さえなければ、「国境」なんて単なる便宜上の言葉であって、単なる不可視な「線」になるかもしれません。
簡単に国籍も日本も捨てることができる。広い庭や洗練された文化が欲しければEUに行けばいいし、清楚で凛とした女性と生活したければ日本に戻ればいい。 それにも飽きて、地震が怖ければEUに戻ってもいい。 問題は、仕事。
実際は厳しい法規があって、悩む問題です。EUはアジアにも厳しい。
Yさんはもっと長くデンマークで学びたい、そんな意志をメールの文面から感じます。
コペンの外務省のホームページを見たり、僕がお世話になった弁護士の名刺を探したり、あれどこいったか、Yさんの夢がかなうように助言を整理しています。助言の焦点がピンボケだと、冗長的だと、ナーバスな外国滞在者は混乱してしまうので、曖昧で無駄なことは一切言うのを止めよう、と。

2006年 4月某日

北欧関係の雑貨や書籍を(も)扱っている、新進気鋭の出版社に勤務されている素敵なゲストが我が家に来てくれました。
とても礼儀正しい女性で、凛とした雰囲気のかたでした。
僕はお会いしたことのないかたとは、文体が設定しにくいので、ほとんどメールを交換しないのですが、この方との場合、例外でした。メールや手紙だけの世界を抜けて、実際お会いすると不思議な感じがしました。
言葉で言い当てたい。
熟読していた安部公房の小説を、後日フィルムで見たときの、あの、甘美なズレの体験です。
とてもいい時間でした。また来てください。
2006年 4月某日

某ツアー会社と北欧旅行のツアーの打ち合わせ。
行った方がいいリストの提示と、ミニ講義。
北欧ツアーを担当するのは3回目で、在デンマーク中はコンダクターのかたと建物や美術品を案内しましたが、
今回は情報提供だけです。
旅のコンセプトをコペンからシフトさせ、オーデンセ、コリンまで行くことを提案。
美術館、レストランを幾つか紹介しました。
その後、6月のシカゴのフランクロイドライトの建物ツアー(これは僕もお供します)の打ち合わせ。
僕が16年前に行った旅行と似ていますが、記憶が怪しいので打ち合わせしました。
流石にレストランの位置や建物の場所は全く覚えていませんでした。
建築家とのツアーなので楽しみです。
2006年 4月某日

今日も授業の準備に力を注ぎます。他校で教えてる友人とも連絡を取り、互いにがんばっています。
今日は僕の好きな雑誌、memo男の部屋の次号の原稿チェック。
写真は少し暗いけど、やはり僕の写真じゃなくて良かった。
顔写真がなくて安心。でも少し淋しい。

地方に住む友人が昭和初期の住宅を、ゲストルームと焼き物工房にしたいと連絡を受け、電話で話し合う。
他にも少し離れて隠れ家的なレストランを計画中らしい。プレファブですませる事に激しく反対した。
僕の好きな地域なので、安くてもいいものにしたいとトレーシングペーパーと筆ペンで取り組んでいます。

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2006年 4月某日
某企業誌に自宅が掲載されました。

雑誌の表紙です

2006年 3月某日

僕がアドバイザーとして関わる住宅設計の作業で、後輩がデンマークに旅立ち3週間を終える。
彼もデンマーク留学経験者で、多くのことをデンマークから学んだ人物だ。
年齢は僕よりずっと若いのに、彼は本当によくがんばって図面を書いたり模型を作ったと思う。
僕の助言もすんなり飲み込み、咀嚼して図面に刻む。言葉の背後まで理解できている。
工務店もいいところが見つかったりして、デンマーク行きは成果があったようだ。
8月の工事開始まで順調に進んで行くと思う。

僕のカタログもコペンハーゲンの建築センターで見つけたようで、買ってくれたみたい。
まだ売れ残っていたのか。。。。。。。出版社の社長 ギルバートはなんの儲けもなかったかも。

2006年 4月某日

デンマークから雑誌が届く。唯一の建築誌 「ARKITEKTUR dk
あっ、僕の作品が表紙に載ってる!これには喜びました。異国の地でがんばった成果が形になって嬉しいです。
ありがとう編集長マーティン!
しかも表紙の写真は僕が撮ったもの。他にも一枚使われています。
もっと嬉しかったのは、総評の建築批評家のコメント。
巧みな(奇妙な)プランニングで外部空間を内部に引き寄せている、云々。
モダニズムにあおりの風を浴びせる、作品とのこと。設計意図も実作から誤読なしに読んでくれています。
やってよかった。

2006年 4月某日

原宿の東京デザイン専門学校での初授業。さすがに緊張はありませんでしたが、普段は年配の方の前で話す機会のほうが多かったため、新鮮でした。学生も男女半々でバランスもよく、皆、好奇心の強い表情。
留学生も多いです。電子辞書を片手に、僕の言うことを訳しては目を向けてくれます。
デンマークでの僕と全く同じでした。稚拙にならないように、でもなるべく言葉を選んで分かりやすく。
彼らの大切な時期に関われることは僕も嬉しいです。
専門学校は2校目の経験ですが、ここも本当に素晴らしい学校です。将来、デンマークのデザイン学校と提携できればと野心的に考えています。
現在は住宅デザイン科の講師ですが、夏季にはもう少し違った関わりをも、と学校の方に相談され嬉しくなりました。
授業の準備のために週末は図書館と自宅でのプリント作りで終わってしまいます。
気分転換はいつも上野公園への散歩です。

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2005年 12月某日

コペンハーゲンの建築出版社からメール。僕のつくった住宅を次号の雑誌で紹介したいので、カメラマンを現地に派遣して写真のデータを送るように、とのこと。東京にいながら、これらの作業を10日以内に終えること、だそうです。
あせりながらもメールにて人脈を頼りに関係者に連絡。施主も住宅が掲載されることに同意していただき、あわただしくも無事に段取りが終わりました。以前仕事で会った、女性カメラマンに決まりました。彼女は僕の1年前に認定された建築家(MAA)でもあります。

2006年 3月某日

デンマークの建築家友人から連絡。 今年の夏も日本に来たいので、品川プリンスの予約を頼まれました。
彼との約束は、代官山のデンマーク大使館裏にある、デンマーク大使公邸(素晴らしい住宅です)に伺うこと。
大使は任期中ならOKとのことでしたが、覚えてるでしょうか。

2006年 3月某日

某雑誌の取材。我が家のリフォームに焦点をあてた特集のようです。デンマークで計画中の模型や群馬での計画の模型に関心を持ってもらい、その撮影も行いました。撮影中に他の雑誌の取材打ち合わせの電話がきました。
本に載る事より、色々な人と会うのは楽しいです。

2006年 3月某日

デンマーク サムソ島の友人 芸術家リー・トフトから連絡を受ける。 僕たちのアート作品が小さな本になり販売されるとのこと。
近いうちにオーフス市役所から2冊送ってくるとのこと。
本が出版されて、すこしでも僕のことを知ってもらえるのは嬉しいです。
後日届きましたが、可愛い本でした。売れるといいな。

2006年 3月某日

絵を譲ったデンマークのインテリアデザイナーが現在、ユトランド半島のドイツ近くに大型のホテルを設計中だと連絡を受けました。スパが併設されているようです。
全ての客室に飾る絵画の制作と、ロビーのインスタレーションを頼めるかという、連絡。
とまどいました。クライアントに押してくれるそうです。日本では「ビルを建てる人」というニュアンスですが、EUだと建築家(アーキテクト)は「何でもデザインする人」という意味を持ちます。
そのため、こうした要請を受けることがあります。常に僕を押してくれる彼に感謝。

2005年 11月某日

僕のとても親しい友人k君(後輩・日本人)が現在、デンマークで住宅の設計をはじめた。
北欧での設計は、難しいです。 光の入り方、西日の扱い、寒さ対策など。
日本とは建築法規も異なり、役所も日本とは比較にならないほど厳しいです。
僕がアドバイザーとして抜擢されました。
k君に頼りにされて、喜んで資料探しをしています。 重要な資料はすべて東京にありますが、模型などは全てデンマークに置いてきました。
2トン弱(!)の資料のみ昨年、50万円ほどかけてコンテナで東京に郵送しました。きっとどこかにあるはず。

2006年 2月某日

デンマークのインテリアデザイナーから僕の絵画を欲しいという連絡を受けました。
デンマークで出版された、僕の作品集(カタログ)に掲載されていた、「emotional map」というアクリル画を希望されており、お送りしました。
素人の絵ですが、デザイナーに気に入ってもらえると嬉しいです。
彼はコペンハーゲンの公共建築のインテリアデザインや、椅子のデザインをしており、日本にも進出してくる勢いを感じます。
日本の大学でも非常勤講師をされているようです。

2006年 5月某日

東京デザイン専門学校で連休明けの講義。
学生と触れ合うのは楽しい。
「デザインとは署名(サイン)を払拭する行為」だということを再度強調した。
日本語の言語構造なども例に出したけれど、ちょっと難しかったかも。
中国や韓国の学生にも伝えていきたい。
製作課題の方は、若干学生のあいだに差が見えてきた。(見えてきてしまった)
特に遅い学生にアドバイス。

次の講義はデンマーク家具にも触れよう、と。

東京デザイナーズウィークに出品希望の学生が学内に20人いるようで、僕も指導者となった。
今月末に、学内コンペを通して、やる気のある学生に絞るとのこと。10人の脱落者がでてしまう。
責任があるので僕も事前に調べたりしなければ。テーマはストリート・ファニチャー。
2006年 5月某日

デンマーク、AARHUSに住む、Helleからメールだ。僕より7歳ほど年上のデンマーク女性。
向こうではよく口喧嘩した。あんなに言い合った人は他にいない。垣根のない唯一の外国人・友人で、すれ違いが原因で話しかけてもらえない時もあったけど、すぐ仲良くなる。そんな繰り返しだった。お互いに自分が正しいと思っていたけれど。
彼女はデンマークの文化に否定的で、アジアやイスラム圏の文化・宗教にあこがれていた。
食べ物,衣服など些細なことが僕たちの対立の原因だろうか。
ある日、僕が彼女の引越しを手伝いに、家に呼ばれて行った。 ひどい散らかし様。
あきれて僕は怒った。 引越し屋さんの車で、関係者を連れて、僕の設計した住宅の工事現場に行ったのだった。 
「私の業者を自分の仕事場に連れて行くな」 

僕は彼女に甘えていたのだと思う。彼女はアジア人がEUの文化に適応する難しさを知っている。アパートの表札に名前を掲示できず、移民局に怯え、急にビザがキャンセルされてしまう居心地の悪さも知っていた。

最近はイラクのボーイフレンドも元気のよう。僕が先日彼女に送ったHUGO BOSS(?)のブルゾンが無事着いて気に入ってくれたみたいだ。
2006年 5月某日

デンマークの真理子さんから朝の4時にメッセンジャーが来た。
僕より3つ年下の女性で、この5月にはデザインスクールでの卒業が控えている。陶芸コースである。
1時間ほどメッセンジャーで会話した。
彼女の御主人(デンマーク人・僕の兄貴的存在)が5月2日から建築調査で日本に来ているよう。
東京で僕と会ってくれるようなのである。

ええと、彼とは1年ぶりだ。どこに連れて行こうかとあれこれ考えて寝た。

早朝、出版社のTさんから2冊書籍が届いた。いただいていいのだろうか。すごく嬉しい。ありがとうございます。
早速夢中で読んだ。このうちの一冊は真理子さんが喜びそうな陶芸の本だから、正規に購入してプレゼントすることにした。
僕は寝る前「睡眠薬代わり」に哲学書を読む。これからは、もっと楽しい、こんな美しいデザインの本を読みたいと思う。 

今日は寝不足だけど、嬉しいことが色々とおこった。

先日、断ってしまったけれど、写真家の神尾さんと今月、飲みにいけるように、いろいろ終わらせないと。
6月のアメリカツアーの準備もしないといけない。打ち合わせがもうすぐだ。
2006年 5月某日

群馬のプロジェクトに関して
修繕する古い民家を一部、解体中に屋根裏から4匹のこうもりが出てきたよう。家族で住んでいたらしい。
彼らの新しい住処も計画するようにと施主からの連絡を受けた。
屋根葺き職人の電話番号や、工務店に関する情報ももらったので、東京からでも作業が進められるだろう。
工事が始まったら、車で通いたいと思う。横浜の駐車場に1999年から眠っている愛車のジープを点検して動くようにしなければいけない。お世話になった西麻布の車屋さん、どこかに移転してしまったよう。担当者だった人に連絡しなければ。

深夜にK君とデンマークの住宅の電話打ち合わせ。湘南の工務店で加工した「組み立て和室」用の木材を
デンマークへと郵送するにあたって、外務省にも協力を頼んだ様子。
コタツは電力が合わないために、中国で購入してデンマークに送ることに。中国とデンマークはともに220ボルトであるようだ。

週末は水曜日の授業の準備をしなければ。3時間の授業なんてすぐに終わってしまうけれど、準備は本当に大変だ。
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