●2007年 3月某日●

デンマークの友人建築家Leif(ライフ)が来月東京に来ることになった。向こうで一緒に仕事もした人。
奥さんの真理子さんからメッセンジャーが入り、知った。彼女もイタリアの美術館に陶芸を出品するほど活躍している。
2年ぶりなので是非会いたい。うちにも泊まりたいそうだ。
ただし今回は30人弱の建築家(教授)のツアーなので、建築案内が大変かもしれない。
僕は横浜と東京を案内してくれないか、ということだった。6月にはまた別の友人が来る。そっちは学生で、先日南千住に格安のホステルを探した。
念のため危険ではないか役所にも電話して色々聞いた。

僕は4月からは専門学校にて、住宅設計とインテリアデザイン、雑貨、家具などの基本的造形演習、また高齢者福祉のレクチャー、環境デザイン(エコ住宅)を担当し、
さらに明治大学の建築学科で兼任講師として4年生の設計演習を担当する予定で、どこまで自分の時間を自由に作れるかわからない。
4月に2週間毎日案内、というわけはいかないけれど、デンマークで一番お世話になった人なので夜に待ち合わせたりしてなるべく彼と一緒にいたいと思う。

僕がデンマークで建築家に認定されたのも、彼がたくさんの人を動かしてくれたおかげである。
いつも「建築家」という言葉を聞くたびに、彼の顔を思い浮かべている。




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某新聞の編集部から取材の連絡をいただいた。過去に取り上げた方はとても著名な建築家なので、僕も恥ずかしくないように、まともな持論を用意しよう。
日ごろ考えてきたことや、やってきたことは「ズレ」ているかもしれないけれど、あらためて自分の位置を再確認できるいい機会だ。

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専門学校の卒業式  明治神宮にて
学生が企画してくれた講師への謝恩会を始め、3次会まで参加した。
僕も初めての経験で、感慨深かった。
新宿にて深夜、他の講師の先生と共に住宅デザイン科のみんなにさよならを告げた。
泣いている学生が男だったりして、、、、かなりこたえてしまった。
その週末はずっと重い気持ちに。

みんなに貰ったバーバリーのハンカチとメッセージカードは大切にします。
さようなら。

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卒業制作展の準備中の様子

上野の美術館に優秀者の数点が展示された。僕の担当学生も2人選ばれた。家から近いので散歩がてら見に行った。
他の学校と比べても、かなりレベルが高いと思った。


      
住宅兼ヘアサロン(藤森担当)          南の島のリゾート住宅     とてもユニークな農業住宅 学内の賞を受賞
空間構成が面白い


     
日比谷に計画された女性向けの集合住宅 本好きの人が住む集合住宅(藤森担当) 傾斜地に建つ住宅(藤森担当)  

指導方法には反省点も多い。自分の指導力の無さに落ち込むことも多かった。

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以下は特に僕が好きだった作品





作業中の様子 主な部位は発砲スチロールで。作業場に隣接して山手線が走る。神宮の森がすぐそこに。

これは歌舞伎町などの繁華街で客引き(キャッチセールス)をする人が、私欲に溺れている自分を反省し、再出発させるための更正・茶室である。
この中に入って、かつても自分の行為を客観視するというコンセプト。
学校の屋上で製作し、展示した。
まだまだなところも多いけれど、彼のエネルギーは評価したい。(藤森担当)



  

外観  黒いカーテンから内部に入ることができる。 全体がキャスターで移動できる。


 
   

内部の様子(インテリア)
ごつごつした岩のような触感。隙間からの光が、黒い闇にて指南役となる。




内部に射す光は、客引き行為をしていた「かつての自分」を浄化する
哲学的空間。 内省的な雰囲気も持つ。格好いい。




●2007年 2月某日●

デンマークで知り合った友人(後輩かな)が、僕がアドバイザーをしている住宅の件でデンマークに行くことになった。
お互いに密に打ち合わせした甲斐があって、彼はいい仕事をしてきた。
今回の目的は、日本から送った「和室キット」を現地で組み立てる目的。
彼が自力で3週間の間、毎日施工してどうにか終わったようだ。
彼の携帯電話の金額が心配になるくらい?僕の自宅に毎日電話があり、トラブルは多かったものの、壁の左官まできっちり終えたようだ。
ほんとうに実現してしまった。
次回は日本庭園を造園しにいくようだ。ゆったりした流れでの仕事は非常に羨ましい。
今回もたくさんの本やファイル、デオドラントグッズまで買ってきてくれた。いつも助かっています。

  
撮影:Nobuhiro Coyama


●2007年 1月某日●



友人が遊びに来てくれた。八田夫妻と中山君。
もう、17年くらいの付き合いになるのか。初対面のころを今でも覚えている。
皆に見習うことが多い。彼らも学校でも教えているので、そのあたりの話をした気がする。
 
あと、好きな服のこととか。
中山君は寝袋で、泊まっていった。

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下仁田の民家の改装の仕事も落ち着いた。反省点も多いけれど、地方での仕事の進め方は勉強になった。
今後の自分の発展になればと思う。たくさんの知り合いもできた。 デザインに関しては100パーセント自分の意向は実現しなかったけれど、
これは全て自分の能力不足として受け止めたい。



現状の民家は築80年  背後に山があり、手前には小川が流れる 
内証だが、昔僕の好きだった女優さんが住んでいたようだ

   
改装後の模型写真 工事は地元の職人さんによる


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いくつかの刺激を受けた建物を見た。いずれも自力で建設した建物である。


これは陶芸家のアトリエである。地方の木の電柱を積み上げて作ったもの。
電柱に塗布されていた防腐剤がアレルギーを引き起こすこともあるみたいだが、実にユニークな発想。
固定資産税が軽減される方法で建てられていた。
空間も印象的で、フィンランドのログハウスのようだった。


      

これもユニークな小屋だった。素人が民家に増築したもの。
僕の勉強になればと、現地の人が案内してくれた。 古い民家の前庭に、様々な性格の空間が連なっていた。
テラスだったり、工房だったり、仮眠場だったり、趣味の部屋だったりする。
おのおのは3畳ほどの大きさだが、さまざまな経験を誘発してきた。
僕がいままでやってたことは、一体なんだったんだろうと考えさせられる。
設計をもっと自由に、気軽に行ってもいいのかもしれないと、、、、勇気をくれた。

他にもたくさんの「現地訛り」の物件を見た。デンマークでも特にこういう物件には焦点を当ててきたけれど、日本の、群馬の山奥にもこうしたものに大変刺激を得た。
友人の仕事から得る刺激とは、位相も次元も違うけれど、貴重な体験だった。


●2006年 12月某日●




北欧建築デザイン協会のクリスマス会を、北欧関係者(建築家・デザイナー)を交えて行った。
デンマーク・スウェーデン・フィンランド・ノルウェーの各国に担当者が当てられ、現地でのクリスマスの様子を演出した。
各国のクリスマスは相違点よりも共通点が多いので、なんとなくのまとまりを再現できたと思う。僕がデンマークの担当だったので
書籍を交えてクリスマスの思い出などを話す機会があった。

デンマークの教会では、身寄りの無い、友人の居ない人たち、さびしい人、貧しい人たちが集まってクリスマス会を行う風習があった。
2003年度の12月25日、当時の住宅の施主が「修の社会勉強になる」ということで参加許可を手配してくれた。
それまで僕は社会的に成功した建築家や教授、僕に大きな住宅の設計を依頼できる豊かな人などとしか交わりの無かったのだが、施主が「デンマークの見方が偏る」という理由で参加したほうがいいと。日本の雑誌で決して紹介されない、「シンプルでモダンな北欧」以外の世界であふれていた空気。いまでも強烈に印象に残っている。


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専門学校の韓国からの留学生 ソンさんが遊びに来た。そのとき彼女は僕のベランダの小屋の窓から遠望できるアパートに住んでいた。なので親近感が生まれた。
「奥様と使ってください」と、サンタクロースとトナカイのプリントされた可愛らしいカップを2つもらった。
それまでシンプルで白くてモダンな北欧的デザインだけに偏ってたけれど、こういう可愛らしいものもいいなと思った。
自分では買わない類のものだからこそ。
以来数日間ずっとそのカップでコーヒーを飲んだ。

バカだった。あるときカップを食洗機に入れてしまい、プリント柄が全て消えてしまった。つるんとした、北欧的なモダンな代物になってしまった。このときはショックを隠せない。
翌日学校で、彼女に本当のことが言えなくて、「あの可愛らしいカップどこで買ってくれたの?」と。婉曲的に聞いたので、あいまいな返答。
おそらく上野駅の近く?で買ってくれたことが分かり、次の日仕事を全くせずに、ひたすら雑貨屋めぐり。優先順位?
クリスマスが終われば、店でも売らないだろうと焦った。
同じものが強烈に、ほしい。

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相当巡った。歩いた。やっとあった。2つだけ売れ残っていた。これをソンさんからのプレゼントだと置き換えよう。

今、上野駅の周りの店舗について、僕は相当詳しい。



●2006年 11月某日●



 写真:北欧建築デザイン協会提供
北欧デザインの権威である島崎信先生と


北欧建築デザイン協会の企画で、ストックホルム在の山本由香さんの講演会に参加した。
デザインライターをされている山本さんの講演は非常に聞きやすく、的確にプレゼンされた映像がきれいだった。
役員の一人である立場から、デンマークとスウェーデンの違いのコメントを求められた僕は、何も用意していなかったのであせったが、デンマークでは古典の歴史を意識してデザイン活動する姿勢から、スウェーデンほどは斬新でない、という印象を話した。
参加者の中にはフィンランドやノルウェーでの仕事や生活の経験をもつ人も居て、山本さんを交えての討論の時間に恵まれた内容だった。

講演後の交流会でも新しい人たちとの出会いに恵まれた。
山本さんには代表の著書のタイトルを聞いた。是非彼女の本を探して読もうと思う。


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母校の芝浦工大が芝浦から豊洲に移転した。
建築工学科ができて40周年のパーティーがあった。
恩師とも会えるし、同期の連中にも会えるかなと期待して参加したけれど、1994年卒の連中は誰も居なかった。
周囲は小さな輪に分かれていて、話しかけずらい雰囲気に。
恩師の相田先生が一人になったところを見計らって話しかけた。夏にいただいた手紙のお礼や、勇気付けられたことを、お礼を込めて話した。
まさかその手紙を額に入れて机の前に飾っていることは、先生も煙たがるだろうから言うのを留めた。
現在すごく活躍されていて、大学院のときに厳しく指導してくれた建築家もそのパーティに参加していた。
そのうちの一人のかたと話しているうちに時間が過ぎてしまい、会をあとにした。実はもう一人の建築家の作品集は、僕が色々なことに迷ったときの「地図」として常に作業机の近くに忍ばせている。作品の数はごく僅かだけれど、多作ということは優秀であるということとはイコールでないことを学んだ。とても偏愛し、尊敬している。
まだ話しかけることはできないでいる。

風の強い埋立地の雰囲気はどうしても好きになれない。主要の拠点から近かろうと、東京であることを認めることができない。
移転した建物は堂々と屹立していた。
大学というよりは研究所のような姿だった。

●2006年 11月某日●

卒業設計の指導で専門学校へ。
僕の担当は5人で、学生からの指名によって決まった。
このあたりはデンマークと同じシステムだ。

3時間の間に5人の図面や模型をチェックするのは大変な作業だ。
参考になる建物のコピーや資料を集めて、当日その説明をしていく方法をとっている。
進行状況が心配な学生もいるけれど、正しい方向に向かうようにアドバイスし、僕の指導力も磨いていきたい。
指導(教育)に向いている、向いていないという判断は、これを真摯に行ってからにしよう。

言葉にならなくて、もどかしいことも多い。どうやって伝えていくか。

それにしても日本の卒業設計に当てられる時間は短い。残酷なことだ。
僕のときも何日も寝なかったり、学校に連泊したり、していた。そこに描いたものはいまでも僕の原点になっていると思う。
彼らにも同じような経験を与えられたらいいけれど。


●2006年 11月某日●

  

デンマークに住んでいたころ、住人の共用物であったバーベキューのテーブルをよく使った。
建築模型をのせて写真を撮ったり、友人を呼んでは外で食事したりしていた。
現在のマンションのルーフバルコニーの小屋の横にこういったテーブルが欲しいと思っていた。
デンマークでのテーブルの寸法をメモっておいたので、暇なときに同寸法で作ろうと思っていたけれども、とうとうできなかったので既製品で我慢した。でも、安い。
なんとか収まった。ワインを飲むくらいで、とうとうこの夏には食事する余裕は無かった。リビングからのアイキャッチにはなっている。
ここでは、あのころのように余裕のある時間のすごし方が難しいと思う。
この間、札幌から、デンマークでの友人の一人であるAさんが来てくれたけれど、とうとうこのテーブルは使わなかった。いつかはここで食事を。

 
小屋の横に置かれたバーベキューテーブル


バーベキューテーブルから見た夕焼け


●2006年 10月某日●



今月はいくつかのイベントに関わった。
東京デザイン専門学校にて「原宿祭」というイベントがあった。学園祭というのだろうか。
僕の関わる住宅デザイン科では、表参道から一本入った閑静なエリアに集合住宅を並べて建てるという計画を展示した。
表参道の一部にはストリートファニチャーを提案し、集合住宅とあわせての展示計画だった。
この計画の模型は、僕の授業中に学生が苦労して製作してきたものである。

ヨーロッパで生活すると、町の歴史に興味をもってしまう。現地の友人とも町の歴史話をよくした気がする。

僕の授業では、この「表参道」が、日本の中でどのように変化してきたのか、という話もした。

戦後の進駐軍による(ワシントンハイツの)時代の表参道や、クリエーターたちが集ったセントラルアパートが建っていたころの話など、僕も何冊か本を読んでは授業に間に合わせて話すというもので、結構大変だった。
学生の反応はいまいちだった気がする。反省も多い。






東京デザイナーズウィーク 2006  学生展示の様子 神宮外苑にて


神宮外苑で行われた東京デザイナーズウィークの学生展示に学生たちが展示した。野外家具の提案である。
ベンチやポスト、照明器具など。
受賞は無かったけれど、学生はとても真摯に作品を作ったと思う。
モンゴルの貧しい子供たち(マンホール・チルドレン)をテーマにした作品や、目の不自由な人の浅草の道案内を立体化した作品など、
印象に残った。彼らは短期間のデザイン教育しか経験していないのに、よくもこんな高い水準の作品ができたと思う。
自分の過去を振り返って、彼らと同じ20歳の時に、とてもこんな作品はできなかった。
プロの作品展示も見たけれども、やっぱり学生の作品のほうが瑞々しくて新しい提案が多かった。最終日には作品撤去の後で学生参加者と僕を含めた指導教員と原宿で打ち上げがあった。ひとつの区切りの後は、なんともいえない淋しさが訪れる。学生たちもきっと同じ心境か。






ヨーロピアン・ウッド2006

東京大学の弥生講堂にてヨーロピアンウッドというセミナーがあった。
セミナーは昼から夜までの長いもので、スウェーデン、フィンランド、ドイツ、ウィーンからの建築家が来日し「木」に関する講演をするもの。
僕はフィンランドのオウルの建築家 ユッカ・ローリラさんの担当で、彼の建築作品の特徴を少し話す機会があった。
350人ほどの前で、マイクで話すのは初めてで、事前にかなり準備したけれども緊張してしまった。
いつもの悪い癖で、少々早口に。
セミナーの前日に赤坂の居酒屋でわいわい話したり飲んだりする機会があったため、他の講演者、特にスウェーデンの家具デザイナーや建築家とは親しくなった。
東京大学の教授や手伝ってくれた学生もとてもオープンでいい人たちだった。
盛大なパーティーの後で、たくさんの人と名刺交換し、数キロあったが歩いて帰宅した。

    
写真:北欧建築デザイン協会提供


 
 
フィンランドの建築家、ユッカ・ローリラさん
長身で穏やかな建築家だった。





 

ユッカ・ローリラさんの作品




北欧建築デザイン協会にて友人のK君の講演会
デンマークで知り合った友人で、彼の講演テーマはグリーンランドの建築文化とコペンハーゲンの都市形成について。
とても密度の高い内容だった。
彼の講演前に、僕が彼との出会いや紹介を含めて少々話した。会では彼のような若い研究者にも講演する機会が与えられたらと思う。





●2006年 10月某日●



結構、時間が経ってしまったが、僕が講師をしている住宅デザイン科の学生が遊びに来てくれた。年齢差が結構あるので共通の話題があるか心配もあったけれど楽しい時間だった。
20歳を過ぎているか慎重に確かめて、、、、すこしのビールとワインを楽しんだ。
日暮里駅で待ち合わせをしたときは5人の学生がいたので、せっかくだから朝倉彫塑館に行った。
今年何度目だろうか。いままでこの彫塑館にたくさんの人を案内してきたので、近くの喫茶店のマスターは僕のことを添乗員かなにかと間違えていたらしい。
彫塑館のあとでアートギャラリーへ訪廊した。時間が過ぎていき夕方になった。2人は(留学生)アルバイトがあるようなので僕の家に来れなくなってしまった。先日、日を改めて来てくれた。
そう、韓国からの留学生の住まいは僕の家のベランダの「小屋の窓」から遠望できるところにあるようで、お互いにびっくりした。
そういう時って、不思議な縁を感じてしまう。せっかく近所なのでまた来てくれたらと思う。
考えてみると、これでこの1年間で、イタリア、デンマーク、韓国、中国からお客さんが来たことになる。


●2006年 10月某日●

以前お世話になった、写真家の黒田高司さんのホームページに、「僕を写していただいた写真」を載せてくださいました。
キャスターつきのワゴンに乗せたラップトップコンピューターを、自由に移動させていく黒田さんの撮影方法はとても印象に残っています。


撮影:黒田高司さん



●2006年 8月某日●



専門学校の教職員、70人程度参加だったが、原宿からバス2台で熱海に行った。同室の先輩先生とはじめてゆったりと話し合えた。
部屋から海が見える衝撃はとても強かったけれど、少し経つと「海の見える部屋」というのは退屈な風景だと気付く。
窓から見える情報が圧倒的に少なすぎた。
「海の見える部屋」という言葉の響きはいつも、とても魅力的だけれども、20分くらいで飽きてしまう。
窓の位置が間違っているのかどうか。

かつて、海までのドライブによく行った。でも、海を見ている時間なんていつもほんの僅かだったではないか。
ゆったりすべき時に、答えの出ないことを理解しようとしていた。






●2006年 8月某日●

少し時間がたってしまったけれども、先日にデンマークのオーフスからピーターが、イタリアのトリエステからエリカが東京に来た。
東京案内は2004年に続いて二度目。また秋に来るといって成田に向かうまで、ほぼ毎日彼らと過ごした。。彼らは日本に4週間滞在し、最後の1週間が東京だった。屋久島から来た彼らはとても日焼けしていた。品川駅の新幹線のプラットフォームで待ち合わせし、あらかじめ予約しておいた品川プリンスの屋上でお酒を飲みながら少し話しを。
EUの人たちは夏休みが長く、時間を上手に使っているな、と思う。

  
       根津のお好み屋にて                    根津のバーにて                       僕の自宅にて



朝倉彫塑館(日暮里)にて(彼らがもっとも気に入っていた場所)


上野の美術館、谷中の古い建物、両国の江戸博物館、葛西水族館、木場の東京都現代美術館、代官山のデンマーク大使館、大使公邸(大使は不在だったけれど)
根津と月島のお好み屋、浅草などくたくたになるまで共にまわった。けれども僕がデンマークで案内してもらったこと思えば、、、、という気持ちだった。

ピーターもエリカも根津のバーではカウンターの日本人の女性とドイツ語で話していた。僕はしばし孤独に。
今日、ピーターからメールをもらった。フィンランドのヘルシンキのホテルからだった。学生と旅行してようだ。
イタリアのトリエステにエリカのランドスケープの仕事を3ヶ月手伝ってくれる若い日本人建築家か学生を知らないか、という内容で答えるのに戸惑ってしまう。

エリカはリチャードマイヤーやレンゾピアノといった巨匠建築家のパートナーとして建物に付随する庭というかランドスケープをデザインしている。
東京では高価な包丁とかござのマットを買って、東京中央郵便局から自宅へと郵送した。





●2006年 8月某日●

お世話になっている主婦と生活社の季刊誌「かわいい生活。」に主に妻が収集した 
雑貨が掲載されました。僕が朝起きて使う、コーヒーミルも載せていただきました。


   


     

    


●2006年 8月某日●



デンマークで知り合った後輩、K君が遊びに来た。
彼のデンマークでの計画を少し手伝っている。長電話やメールでは無理なときに、彼は自由が丘からやってくる。
大きな和室の模型を持ってきて、その精度に驚いた。とても丁寧に作られた模型だった。
来月彼はデンマークに行って、この和室を将来に納める、現在工事中のレンガの住宅をチェックしに行くようだ。
僕はしばらくデンマークには行けないので(戻れないので)いつも彼には買い物を頼んでいる。
大概は本で、とても重いけれど嫌な顔しないで引き受けてくれる。

10月には僕も理事をしている北欧建築デザイン協会で、彼の講演もお願いすることになった。
コペンハーゲンの都市とグリーンランドの建築について。
とても楽しみにしている。



●2006年 8月某日●


大学院の時代の恩師の建築家から手紙を受け取った。とても勇気付けられる。デンマークでの作品、特に住宅は北欧の雰囲気が伝わってくるけれども、若いうちは洗練された建築空間を目指すのではなくて、もっと瑞々しい、洗練とは無縁だけれども現代に批判的なものづくりをすべきではないか、という内容だった。一方で、僕の自邸の、ベランダに置いた仕事小屋は、とても褒めていただいた。先生は煙たがるかもしれないけれども、手紙は額に入れて机の前に置くことにした。今でも先生の作品集を見ることがある。手紙の最後にはいつでも連絡してもいいとあったけれど、もう少しいいニュースをつくってからでないとその資格はないだろうと思って遠慮することにした。
今後もデンマークで学んだことを橋頭堡とすること、先生の言葉が重くのしかかる。



2006年 8月某日

ルーフバルコニーから飛行物体が横切る姿を見た。
日常の退屈な風景をほんの束の間でも変えてくれる出来事は、バルコニーを特別な場所としてくれる。
昔、江戸川区で住んでいたマンションは目の前で大きな花火大会があったけれど、
現在の僕のバルコニーからも遠望だけれどもいくつかの大会の花火が見えることが分かった。

バルコニーにいると電話を受けれないことが頻繁にあるので、電話の子機や携帯を持って行くことにしている。

    



2006年 8月某日


長い間更新を怠ってしまった。築年数の古い改築をしている。およそ80年くらい経過しているようだ。
1926年後ごろに作られた、歴史的価値とは無縁の木造家屋である。
                 
原宿表参道にかつて建っていて、実は僕はまだ見ていないけれど「表参道ヒルズ」の前身である「青山同潤会アパート」について専門学校にて講義をした。
「同潤会」についてはここでは省略するけれど、台東区にも2つの同潤会アパートが現存している。
一つは僕のマンションの近くということで、今月は何度か足を運んだ。こちらも築80年を超えている。修繕の仕事の参考になれば、というのが見学のきっかけだったけれど、
戦争の傷跡や、長年にわたる生活のレイヤーが張り付いていて気軽な気持ちを失ってしまった。そのアパートは異質な雰囲気を周囲に放っていた。


同潤会三ノ輪アパートという。

付け焼刃の勉強だけれど、そこは現在に至るまで何度か立て替えの計画があったらしい、が実現に至っていない。
僕は不動産関係者だと思われたくないので、自意識過剰になりながらこっそりスケッチしたり、メモを取ったり、写真を撮っていた。気付けば僕の隣にも、同じように建物を眺めている若い女性がいた。雨が降り出してきたが彼女は濡れながらも建物を見つめていた。
僕はその建造物に対し、明らかに物珍しいものを見るような視座だったけれど、彼女は昔住んでいたアパートを見るような見方をしていた。
少しだけ話しかけた。−どんな理由で見つめているのか−。
僕は修繕の仕事に行き詰って、築80年とは何なのか、探しに来たと言った。
彼女は映画の美術製作の仕事をしていて、現在公開中の映画「はちみつとクローバー」の舞台に、この建物が選ばれて、もう仕事は終わったようだけど懐かしくなってまた来た、と言っていた。軽く会釈して僕は家に戻ったが、彼女はもう少し建物を見ていたような気がする。
現在の仕事に行き詰って、一つ前の仕事の舞台にやってきたのだろうか。

この建物についても、ほんの少しだけ学生の前で先日、話をした。

    



2006年 8月某日

先日、デンマークでの住宅の施主、フランクから電話があった。日本人である奥様の出身地、札幌に来ているらしい。
何かで検索して、僕の電話番号を調べたようだ。
彼とは途中、会話に沈黙があっても、それに耐えられずに無理にその沈黙を次の言葉で壊さなくても余裕を持って受け入れられる「間柄」だ。

彼との紆余曲折の打ち合わせがなつかしい。
初めて模型を持って彼のアパートに行ったころや、打ち合わせ中に大雪でバスが止まってしまい帰れなくなったこと、
なかなか僕の案が通らなかったことなど。
至らなかったことも多いけれど、「言葉の壁」を理由にして「案が通らないこと」を自分に言い訳しなくてよかったと思う。
デンマーク語の授業中も、ずっと家の間取りをスケッチしていたのでデンマーク語が上達しなかったのはその住宅のせいにしているけれど。
デンマークには家を大切にする文化があるから、今後、そしてこれまでに設計した僕の日本での住宅のすべてが取り壊されても、立替られても、あの、デンマークで設計した家は、ずっと残ると信じている。


遅れていた彼の庭の塀の工事が、僕の図面に沿って作ったことを知った。
今度デンマークに行ったら、この目で見てみたい。


 

ダークグレイのレンガの塀は、手前に計画する「砂利の庭」の背景になる。



2006年 7月某日

京都芸術造形大学の講義中にパソコンが壊れてしまって、思った以上に修理に手間取ってるよう。
先方も責任を感じてくれたようで、今日から修理中に使ってくださいと、GATEWAY社のパソコンを送ってきてくれた。
データも復活させてくれたので、問題がなく安心。
週末に泊まりに来てくれたアーティストの親友に、拙い文章でも構わないのでこのメモ日記を更新したほうがいいという
意見をいただいた。




日記を更新しましたね、と京都造形芸術大学の生徒さんから丁寧なメールをいただいた。
「情報デザイン学科」の生徒さんだ。
自分で授業料を稼いでいる学生さんは、EUの学生と同様で、デザインに対する真剣な態度がにじみ出ていた。

彼女は仕事で出かけている時間を含めた一日のペット(愛犬)の行動パターンを予測してかわいい絵本にまとめて発表してくれた。
「建築」以外の授業はいわゆる僕にとって「異分野」だけれど、言葉に惑わされないで向き合うと、やってることはまったく建築と同じだ。計画敷地を歩き回って、いろいろな情報や偶然を拾っていく作業と情報デザインのアプローチはまったく同じことがわかった。

先月のアメリカの建築ツアーの参加者(工学院大学出身の方々)と新宿の工学院大学でパーティがあった。
僕は案内人だったので写真はほとんど撮ることができなかったが、参加者からたくさんのCDーROMをいただいた。
深夜まで新宿でお酒を飲み歩いて、帰宅。僕が参加していて、まったく疲れないのは、このグループが敬語や謙譲語を使用しない気さくなグループだからだ。僕は折りあるごとに、日本語から敬語のルールを失えば、いかに仲間とコミュニケーションが深められ、街もきれいになると話してきた。デンマークでも日本でもあらゆるところで。まだ自分のなかで洞察できていないけれど、日本の街が風景として汚いのは、「敬語」に起因すると思う。

海外に留学した建築家は、帰国後日本の街の汚さを肯定し、肯定視し、受け入れていることが多い。
日本は、東京は汚いけれど勢いがあって、エネルギッシュで、といったもので「自己欺瞞」にしか思えない。一度自分を騙すと、くせになっていってしまう。やがて麻痺してしまって、「欺瞞」はとても危険なことだと思う。
どうして東京のまちは汚いのか、と外人に聞かれることが多い。彼らはその事実に日本人が気づいているのか、無視しているのか不思議なんだと思う。EUに行って成田に帰ると本当に絶望する。どうして絵心のない人に建物を設計する機会を与えるのだろうか。
お金を動かすだけに昨日、2時間で設計したような建造物しか車窓からは見えない。学ぶものが何もない。
外国人は嫌味を言うために質問するのではなくて、僕たちの欺瞞の麻痺を解くためでもなく、車窓のガラスの向こうの有様を伝えているだけだ。中国の文化を4ー500年かけて模倣して、僕が使っているこのへんてこな文字を作った。西洋の文化を明治時代から、まだほんの100年くらいだけど、模倣しているこの国は、模倣しつくした後、もう模倣するものが無くなって、いずれは自分の頭で物を考えないといけないのだろうか。再来週、デンマークとイタリアからの友人の建築家を東京案内する。

次の日は北欧建築デザイン協会の理事会に参加。場所は昨日と同様で工学院大学の会議室。
9月からの会の講演会のスケジュールやイベントの提案など話あった。僕は諸先輩の話を聞いている感じ。
理事の一人である東京芸大の高名な教授・建築家にも初めて理事会で会うことができた。
名刺を交換して簡単に自己紹介することができた。

芝浦工業大学の大学院時代の同期(実際は2年後輩)が江東区に住宅を設計したので見学に行った。質の高い作品だった。
僕のクラスの東京デザイン専門学校の学生を2名、彼の事務所に社員として受け入れてもらえることになった。
どういう学生がいいか、を彼と話し合った。そのうちの一人はすでに彼と面接を終え、気に入ってもらうことができた。




2006年 7月某日

パソコンが故障し、ずっと更新できませんでした。
今回は致命的なようで、もうしばらく修理に時間がかかるようです。
現在はデンマークでずっとお世話になった非力なIBMのThink Padを使っています。

今月もいろいろなことがありました。
専門学校のクラスの教え子と、横浜 三渓園の茶室 春草蘆(しゅんそうろ)に行きました。
織田信長の弟、織田有楽(うらく)が1600年頃につくったものが横浜に移築されたものです。
親友で建築家の八田君に関係の書籍を借りて勉強したために、授業にて「茶室」の講義を無事に終え、
実際に見てみようということになりました。
以前、教えていた専門学校だったら、このような課外授業には全員参加ということはまずありえないことでしたが、
この学校では全員の生徒がほぼ時間通りに集まりました。

研究目的でないと公開しないというこの茶室を親切に案内していただき、学生と共に有意義な時間をすごせました。
その後、中国からの留学生に、おいしそうな中華街のお店を探してもらい、皆で食事し、韓国からの留学生と大桟橋のターミナルを見学に行きました。

次の週は僕の授業の演習課題の提出日で、レベルの差はありましたが全員が提出し、それなりの評価をもって前半の授業が終了しました。




 






学生作品のパネル。
彼女の作品は「日常生活に足りない場所」として、
公園の池の中島に小さな構造物を提案したもの。
茶室のスケール感から多くのことを学んでいる。




2006年 7月某日

週に2,3日は家具の指導に専門学校へ。
やる気のある学生だけが行うイベントであるため独創的な提案も多い。
機能的な家具には北欧にて多くの時間触れてきたけれど、ここではもう少しアート的なものが求められている。
求めている。
もう一人の先生がデザインのプロの方なので、僕はもっとコンセプトや物の背後でどのような思考をしているのか、
という視点での指導に心がけている。こういう場では講師は居丈高になるべきでない、と思う。
偉そうなコメントだけは言わないように、学生の可能性を引き出すことだけ考えている。
すぐに何時間も経ってしまう。






家具の模型が打ち合わせの机に並んでいる様子