以下は、デンマークで活躍しているイギリス人建築家クリス・テュールボーンのコメントです。
僕の個展のカタログに寄稿してくれたものです。
彼は10年ほど前に、デンマークの教授にロンドンでスカウトされ、以来デンマークに滞在しています。
僕にとって彼はデンマーク建築界のスターです。デンマークにて建築家認定審査(センサー)をする数少ない外国人建築家です。彼の本は破れるくらい読み、いつも彼の背中を追いかけてきました。
僕は東京で手に入れたこの建築家の書籍を頼りに連絡し、デンマークへ行きました。

Others

2004年4月28日


今、こう書きながらもヨーロッパ連合の新しい歴史の幕開けが始まろうととしている。
国土の小さなデンマークが、次の世界へと扉を開き、より大きな自由を獲得する転機、
統合への新しい挑戦への道がすぐそこに、ある。
2004年の5月1日は、ヨーロッパで暮らす多くの人々にとって、より大きな「和合」を目指して
メッセージを発していくという意味で、画期的な事件日といえるだろう。

建築家、藤森修はヨーロッパが自国ではないけれども、この場所を選んだ。 
数年前、彼は母国からやって来て、すぐに私の扉をノックした。
私の前に立ち、母国での作品の経緯を説明したあと、北欧建築への研究に向けて野心を示した。 
その実りが今日見ることができよう。

彼の関心はデンマークに浮かぶ孤島、サムソ島に屹立する灯台に向けられた。
その灯台の足元には、ドイツ・ナチによるデンマークの占拠という世界大戦時代の暗黒かつ
悲運の歴史を背景に、2人の男のドラマが潜んでいる。
灯台主、かつナチズムへのストライキリーダーであったオット・モンステッドとドイツ・ナチを標榜するハンス・ハッカーである。
加えて2人の男たちの「和合を拒否した一瞬」を切りとった第3の男。陰の写真家。
不可視な人物。
藤森は灯台へ近づき、隣接して文化施設の設計に乗り出した。

この建築は、サムソという小さな島を超え、多くの歴史と文化の詩的な融合である。
広がりつつあるヨーロッパ連合の境界を、より引き伸ばし、はるか過ぎ去った時を蘇生させる。

藤森修が我々の時代の魂であることを。


Chris Thurlbourne (建築家) 


  誕生の瞬間−藤森修の出発点について−


  栗を製造する作業においては常に、「作業」に関わる人物と、その作業を見守り「評価」する人物に分担される。
 ある人物が栗を「収集」する。他方の人物が良いものを選び、「仕分け」する。
 ある人物が「調理」し、他方の人物が「味見」する。
 ある人物がタールで洗浄し灰と火で「炒る」と、他方の人物がその結果を「見定め」る。
 この世界では、いつも寄生虫のように物事に寄り添い「評価・決定」を下す人物が評価される。
 果たしてこの紋切り型の構図は正しいのだろうか?
 「批評する人物」は「創作者」を超える事ができるのか。       (GENESE/ジェネス  ミシェル・セール著 1982年パリ)
                                                      

 創作行為の初期段階、つまり出発点が建築家の仕事の価値を決定づけることがある。
建築家がインスピレーションの映像、つまり出発点を発展させ作品として定着させる一連の行為において、仮にその建築が有名になれば、
その出発点が「ブランド化」されることがある。 例えばヨーン・ウッゾンのオペラハウスの「雲の動きのような初期スケッチ」はブランドとなっている。

 建築への出発点に意識的であろうとする試行がまさに藤森修の仕事の特徴だ。
特に機能面を放擲した、アートと建築の中間に位置づけられるインスタレーション・プロジェクトにその特徴が顕著だ。

 1993年に千葉県の九十九里浜にて展示された「連歌」と名づけられた展示計画は、2週間の制作期間を経て実現された。
この計画の「出発点」は彼の友人の悲劇的な状況−母の死という−のもとで2人の製作者が共に思い出の記念碑を、
母なる海の前で展開するという一点に絞られよう。 ここでは一時的な、はかない墓地というキャプションが与えられている。
ここでは連歌という形式が踏襲された。
それは、つまり日本の詩の形式であり、協作の形式でもある。
連歌の意味は、2人、もしくはそれ以上の人が共同で一つの詩をつくりあげることだ。
互いの詩は鎖のように絡み合い、ある特定のサイクルをうみだしていく。
互いに意識的な関係をもつことが求められる。

ある人物が一行の歌を詠い、他方の人物が続けて次に詠う。
ある人物がその続きの文を詠い、他方の人物がはじめの一行を背景に詠う。
流れの方向性は一部分しか制御することができない。
相手と同じ形式を使うこともできるし、もしくは皮肉的に相手との間に距離を横たえることも可能だ。

この方法は今までに多くの芸術家によって研究された経緯もある。
このユニークな構造への、あるいは鎖効果への視座。
ロシア構成主義の映像作家は20世紀の初頭、「アトラクション・モンタージュ」とよばれる基礎をつくった。
そう、背反する状況を繋げ、図像を連鎖させる、あの方法だ。

 藤森のプロジェクトに話を戻そう。
これは海辺を背景に、6m四方の正方形区画のなかに、交代で2人の製作者が詠いあう、悲劇的な状況の詩だ。
それぞれの作品が、その前に現れた作品に影響されなければならない。
そこでは象徴的なオブジェや構造物が構築され、時には「時間」という次元もとりいれたパフォーマンスも行われたようだ。
夏を迎える季節に先立ち、日々ゆっくりとした発展を経て、遠望の海辺の水平線に作品の連鎖がもたらす「人工的な第2の水平線」が重ねられた。

 同年の1993年に、藤森が所属する相田武文研究室によって東京のギャラリーにて展覧会が開催された。
この計画の目的は「仮に視覚を失った場合に他の感覚を駆使し、どんな空間の質を知覚するのか」という実験だ。 ギャラリーの照度はおとされ、
床にあてがわれた素材は変化に富み、天井からは総計100kmを超える夥しい線材が吊るされている特異な空間だ。その空間は視ることができない。 
展覧会は多角的に考え抜かれ、建築の触感的次元に焦点が絞られた。

 1994年、藤森は群馬県の山村全体を取り込んだ、これまでに一番大きなインスタレーションに取り組んだ。
はじめに村全体に青く着色されたワイヤーが張られた。(この県には海がないため、「海」の再現を条件にこの計画を村民が承諾した。)
その後、この基準線に沿って木や金属の材料があてがわれ、樹木や小川、電柱、民家をもその計画のなかに位置づけている。
畑のジャガイモは発掘・着色され、日常の農具なども巻き込まれてしまっている。
疑い深い村民たちに、事は変容できるという事実をユーモアをこめて批判したといえるだろう。


 建築家、篠原一男はかつて「住宅は芸術作品である。」と語った。
この教訓的な発言は藤森の師であり、70年代初頭のアルキテクスト運動のメンバーである建築家、相田武文に引き継がれている。
アルキテクストというのは退屈な合理主義に対する異議、ストライキと解釈できよう。

 藤森修の建築の出発点に焦点を当てたとき、ついに「機能」とは無縁な他の次元が有り得るということに気づかされるのではないか。


Leif Hogfeldt Hansen /ライフ・フュグフェルト・ハンセン

以下は、僕の尊敬するデンマーク人建築家ライフ・ハンセンのコメントです。僕のカタログに掲載されたものです。内容は難解です。

僕は常にものの「作り手」を意識している、とのことです。

 「マロングラッセ」という栗のお菓子があります。この作業の過程においては、「これはいい栗だ」、「悪い栗で使い物にならない」と実際には何もつくらない「批評家」がその栗の品質価値を決めます。一方、作業・制作者はひたすら手を動かしてつくる。
ヨーロッパの建築界では、作り手が自ら作品をコメントしません。すべて批評家がその価値を決め、歴史に位置づけるのです。
実際には物をつくらない人物が評価する。それでいいのか、という「批評家」に対する批判もこのコメントには込められています。
また、僕は発想の出発点を大切にして、最後までそれを守り通すように見えるようです。

 知的な彼からは人間としても多くのことを学び、影響を受けました。週末には何時間も建築の話をしましたし、彼に出会わなければ、僕は4年半もデンマークに居ることはなかったでしょう。

ベスボー灯台脇の文化施設計画


 今日から日本人の芸術家であり建築家でもある藤森修の展覧会がギャラリーVADSTRUP1771にてはじまります。
一瞥しただけでは、灯台の西に置かれた単なる文化施設のようです、が、さらに藤森の幾何学の世界へ奥深く入っていくと、これは単なる建物ではないことに気づきます。
そこにあるのは愛であり美であり建築であり、そのためでしょうか、展覧会のタイトルは 「恋と建築にはすべてが許されるものだ」
今週の水曜日には取材陣のプレスの目的で展覧会の「味見」と藤森との会話が行われました。
当日はまだ展覧会の設営が終わっていなかったのですが、すべてのパネルや模型は用意され予定通りに準備が進んでいました。
藤森はこの展示計画そのものの模型までも作り、あとは展示空間をつくるための膨大な量の段ボール箱の配達を待つのみでした。

ベスボー灯台はデンマークの中心である

 藤森はサムソ島をデンマークの中心であると位置づけています。
地理的に云うと、3つの主要都市(コペンハーゲン、オーフス、オーデンセ)を結ぶ3角形の中心にこの島の灯台が位置しています。 そのためにここが選ばれたのでしょう。

ナチと反対運動者

 ドイツ・ナチの将校と灯台管理人兼ナチズム反対運動者の写った灯台の前で撮られた写真、これがある意味でこのプロジェクト全体を支える建築幾何学のアイディアです。
この2人が互いを意識する視線、低い夕日の影。
「灯台は厄介な隣人だ」これが展覧会の副題です。
互いに天敵でありながら笑顔を交わしている2人の男を示唆する副題でしょう。
全体模型を見ると、完全に幾何学的に配されている、もう一つの黒い灯台があります。
ここでは、私たちの知っているベスボー灯台はナチスを象徴し、もう一つの灯台は反対運動者を意味するのです。
 藤森はオーフス建築大学の卒業後、現在デンマークで住宅の設計をしています。
展覧会は5月29日までアートギャラリーVADSTRUP1771にて見ることができます。
オープニングパーティーは本日3時からです。
展示会場は複雑で多くの箱の世界です。この展示空間の模型も展示会場で見ることができます。
注意:模型に置かれた下着の女性は実際の展示場にはいません。


記者:マリー・コック


ナチズムと芸術がベスボー灯台にて融合する

日本人建築家、藤森修がベスボーにある古い灯台の周囲の海辺に独創的な建築(宿泊施設を併設した文化施設)を設計したことは、とても刺激的な事件だ。
島内のアートギャラリーVADSTRUP1771にて明日から5月29日までこの計画を見ることができる。だが、もしもこの建築家と直接会って話したければ、明日の15時から「なぜサムソ島を選んだのか?」など聞くことができるだろう。
コルビュ海に面した平地がこの計画の敷地として考えられている。
駐車場はコルビュ海にむかって配され、訪問者は既存道路から弧を描く長い通路に沿って歩み、丘を横切りこの建築へと近づくことができるようだ。
この計画では、過去1000年の歴史を超えたこの灯台が常に記念碑的に扱われている。

哲学的方法論

藤森は母国から多くの哲学的ともいえる発想をこの計画に持ち込んだ。
この建築には多くの物語が封印されているという。
ベスボー灯台を背景に1942年ドイツ兵に撮られたユニークな写真が手がかりにされた。
この写真は、オット・モンステッドという当時の灯台の管理人が、ナチズムの将校ハンス・ハッカーと並んで写されている。
笑顔の2人。
だがこの時、ナチズムの将校ハンス・ハッカーは隣人の男が灯台の管理人という肩書きの裏でナチズムへの反対運動のリーダーだという真の姿に気づいていなかったのである。

見えない灯台

この2人の男達がこの展覧会で再び呼び戻される。
藤森はこの2人をそれぞれの灯台として置き換えた。
ナチはデンマークの社会を支配し、俯瞰の視線で監視する「灯台」として解釈された。
つまり灯台はハンス・ハッカーに占拠された。
占拠された既存の灯台の代わりにオット・モンステッドには新設の「見えない灯台」が捧げられている。この灯台はナチの監視を避けるように平地の中に隠れて配置され、再びナチドイツが破壊したものたちを建て直すかのような力強い意志あるいは記念碑といえようか。
ひょっとすると、この計画に込められたすべてのメッセージを理解するには日本人でなければならないかもしれない。
この計画は2年がかりの大きな計画である。
実現の可能性は高いようにみえる、が、藤森は首を振る。
アートギャラリーVADSTRUP1771のオーナーであるリー・トフトはオープニングパーティーの参加者を呼びかけている。

記者:イェンス・ウスター・モーテンセン


オーフスの植物園に位置するビデオアートギャラリー


この建築はユニークな性格を持ち、丁寧な手描きの図面で仕上げられています。
これは公園内に位置する既存の円形駐車場に提案されたビデオアートのギャラリーです。
形式的な設計プロセスによって、詩的で審美的な地平へと導かれています。

                                            


以下は、美術館の展示計画を新聞に取り上げてもらったものです。(翻訳は挫折)
一緒にいるのは建築史を専門とするピーターです。 オルボー大学で教鞭を執っています。
国内外の建築学校で講演し、先日もローマ大学の建築学科で北欧建築の講演を行いました。常にその国の言語で講演するところが凄いですね。
現在も頻繁に連絡をくれたり、デンマークの建築誌に僕の作品を売り込んでくれるなど、色々と助けてもらっています。
夏季には東京を案内しています。


以下の2つの記事は、個展の取材を受けたときのものです。少し難解な作品で社会的な問題を扱いました。
記者の人は大変頭がよく、すぐに僕のやろうとしていることを理解してくれました。

以下は、僕の計画案ががコペンハーゲンにて受賞・展示された時のものです。


建築の専門誌「新建築」2004年12月号に掲載された、デンマークに滞在中のエッセイです。

Essay

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数年前に記事にしてくれたものです。
この頃は何がやりたいのかわからずに、迷いながら色々な分野に手を出していました。
教育活動、執筆、コンサルティング、設計などしました。